紙資料の損傷原因で最も多いのは虫損です。虫損によって取り扱いが困難になっている資料も多く見られます。
虫損を受けた冊子
虫損により冊子の開閉が困難な状態
・紙を好む虫は、墨書や朱書き部分も区別なく食害します。特に米粉を填料として漉かれた紙への虫損が甚大です。
・虫損部に紙を補填することを「補紙」といい、補填する紙のことを「補修紙」といいます。
・恒春堂では、主に「手繕い」「漉き填め」「DIIPS」の三種類の方法の中から、本紙の状態、紙質、書写材などから検討し補紙を行っております。
・虫損の補修方法として、補紙とは別に「裏打ち」が行われることがあります。裏打ちは脆弱な本紙を支持するのには適していますが、特に薄い本紙の場合、質感、風合いを変えてしまうことがあります。また冊子の場合、頁をめくる際の柔らかい感触が糊の硬さにより失われ、装丁の形(冊子の厚みなど)にも変化をもたらします。
・古文書・典籍類は、文字情報だけでなく、書写材としての紙の風合いや冊子。書状といった装丁の姿かたちも、その時代の文化の遺伝子と捉えるべきだと考えます。
・恒春堂では、裏打ちのないものは、ないなりの姿と風合いを尊重し、その時代、産地の紙や装丁の姿を尊重します。文字情報にとどまらず、紙や装丁も文化の遺伝子と捉え、次世代へ伝える必要があると考えております。
・本紙が紙の力を失い維持できない場合を除き、虫損資料に対する補修は、極力裏打ちではなく、補紙による修復をと推奨しております。
虫損の形に合わせ印刀にて周囲をなだらかに削ぎ落し成形している様子
左:成形した補修紙 右:虫損部
糊代に糊をつけ虫損部へ填めている様子
<1.手繕い>
・伝統的な補紙の方法となります。
・虫損部の形よりひと周り大きく(糊代分)、周りの小口をなだらかに削ぎ落として成形した補修紙を、本紙の裏面より小麦澱粉糊にて貼り充てます。
・補修紙の周囲をなだらかに削ぎ落とすのは、糊代部分が二重となることによる厚みの増加を防ぎ、透ける本紙で糊代が表面に響くのを避けるためです。
・補修紙は基本的に同質の紙を用います。同質とは、本紙が楮紙であれば補修紙も楮紙とするなど、本紙の紙質に合わせることを指します。本紙の紙質には、楮紙・雁皮紙・三椏紙・麻紙・宣紙・竹紙・木材パルプ・またはこれらの混合紙などが挙げられます。
・補修紙は、本紙に近い紙を近現代の手漉き紙から選定しますが、時代により製法が異なるため近現代の紙では合わない場合があり、その際には古い時代紙を用いることもあります。また、特殊な紙の場合は、専門の漉手の方に製作依頼したり、当工房で自ら漉くこともあります。(補修紙作製の研修受講の経験あり)
・補修紙は同質であればよいと思われがちですが、同質だけではなく、紙の地合い、表面の平滑性、密度、簀の目、加工の有無などの風合いを合わせることで、補紙が違和感なく馴染み、本紙と補修紙が佇まいをともにするような仕上がりとなります。
漉嵌め前の本紙(黒い箇所が虫損箇所)
漉嵌め後の本紙(※上下の本紙は別頁の写真)
<2.漉嵌め法(リーフキャスティング)>
・リーフキャスティングとは、1960年代に西洋で開発された補修技術で、紙資料の欠失部を紙漉きの原理を応用し、補填する方法です。日本では、1970年代に、洋紙と異なる日本の楮紙・三椏紙・雁皮紙等に応用した「漉嵌め法」が発表され、今日まで改良を重ねながら補紙の一つの方法として行われています。
<漉嵌めの原理>
・漉嵌めは、紙漉きの原理を応用しています。漉嵌め機の、紙を漉くための漉簀(網目状の面)に、欠損した本紙を伏せてセットします。
・セットした本紙の面の上に水を張り、その中に補修紙の原料となる紙の繊維を水の中に分散させます。
・紙漉きとは、水に分散した繊維を漉簀の上に汲み込み自然に水が下に落ちる際、紙の繊維のみが漉簀(網目状の面)に引っ掛ることによりシート状の紙が漉き上がります。
・これと同様に、漉嵌め機の排水を開始すると本紙上の繊維を分散した水は、水が下へ抜けていきます。本紙の面は水が抜けませんが、欠損部のみ水が抜けます。この作用により、欠損部のみに繊維が集まり、紙が形成されます。
・そのため、手繕いと同じく欠損部のみに補修紙が形成される仕上がりとなり、裏打ちとは異なり本紙全体に厚みが加わるようなことはありません。
<漉嵌めによる補紙のメリット>
・手繕いのように虫損部を一つずつ繕うのではなく、一紙ごとの単位で作業を行うため、虫穴の数に作業時間を左右されにくく、大量資料などに適しています。
<漉嵌めによる補紙のデメリット>
・工程上、水に一定時間浸すため、書写材に水溶性の顔料、染料、インク等が用いられていると、にじみや薄れを生じる恐れがあり、なる恐れがあるため漉嵌めの適用は難しくなります。
・水に一定時間浸すため、紙の水素結合が緩み、風合い等に変化が生じ易くなります。
・手繕いと異なり、補修紙を本紙に細かく合わせることが難しい点があります。
DIIPSによって作製した補修紙
<3.DIIPS>
・DIIPSとは、Digital Image Infill Paper Systemの頭文字からなり、1990年代に岡墨光堂によって開発された補修紙作製方法です。
・「手繕い」は本紙の風合いを変えず、理想的な補紙が可能な反面、虫穴の多い資料や大量の資料の場合、時間とコストがかかってしまいます。「漉嵌め法」は虫損の度合いに大きく左右されることなく、手繕いと比べると時間もコストも抑えることが出来ますが、書写材に水溶性のものを含む場合漉嵌めの選択ができない場合があり、また紙の風合いを変える懸念もあります。
・「手繕い」と「漉嵌め法」の利点を組み合わせ、欠点を補うハイブリッドな方式といえます。
<DIIPSの概要>
・その名の通り、デジタル画像処理によって虫穴(欠損部)のみを抽出・認識し、欠損の形に穴の開いたシートを作製します。
・そのシートを漉嵌め機にセットし、漉嵌めと同じ工程を行うと、欠損の形をした補修紙が漉きあがり、乾燥します。
・手繕いの要領で糊代に糊をつけ貼り充てるという補修方法です。
<DIIPSの利点>
・手繕いによる補修紙の成形には時間がかかり、複雑な欠損の形の場合、さらに時間と技術力を要します。その点、虫穴の数や複雑さに左右されることなく、均一な糊代を有した補修紙が作成できます。
・本紙を水に浸さないため、書写材に水溶性の顔料、染料、インク等が用いられている場合でも使用可能で、本紙の風合いを変化させる心配もありません。
・DIIPSを応用することで、手繕いではできない構造の補修紙を作製でき、より保存、活用に適した補紙が可能となりました。
<DIIPSの欠点>
・補修紙としての質感、風合いを整えるためには、繊維の配合から紙漉き後の加工(染色・打紙など)まで、高度な知識と全体を見通した設計・判断が必要となります。